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へっちり、サンタさんの歌みせて!

私のiPhoneに「へっちり」と呼びかけてお願い事をする我が子、4歳。 お子「サンタさんの歌のやつみたい」 私「ちょっとまっててねー」 お子「わかったー、じゃあへっちりに頼むわ、へっちり、サンタさんの歌みせてー!」 我が子の言う「へっちり」とは、Appleの「Hey Siri」のことです。 我が子はまだ「ヘイ」の意味をしらないので、Siriさんのことを「ヘイシリ」さんだと思ってます。そしてまだ舌足らずなのもあって、「へっちり」になっているのです。 「へっちり」と呼びかけてもSiriは起動してくれません。なんの反応もないので「へっちり寝てる」と言う我が子。 そのうち私も「Hey Siri」と滑舌良くはっきりとした発音で呼びかけるのが面倒になってきて、気の抜けた声で「へっちり〜」と言ってみて、当然無反応なので「へっちり寝てるねー」って言って終わる。「へっちり〜」と言っているだけで面白いので、もうそれで良いんじゃないかと思えてくるのです。 もうSiriさんのことは「へっちり」で良い、そう思っていたのに、iOS17からは「Hey Siri」のHeyを省略できるとのこと。 そうなるとどうなるのだろうか・・・、うっかり私が「Siri」と言ってしまうと起動して、「なんですか?」なんて聞いてくるのだろうか。 そしたら我が子も「へっちり」じゃなくて「シリ」だと気がついてしまうのではないか。 我が子の「へっちり」と言う様はとても可愛いので、できるだけ長く「へっちり」と言っていて欲しいと思う。

本屋さんのBL棚で

メタモルフォーゼの縁側の漫画を買いに本屋さんに行ったときのこと。 この漫画はどこらへんにあるのか分からなくて、いろんな棚をカニ歩きしながら背表紙の一つ一つを見て回って、それでも「メタモル」が見つからないので、どうしよう、あきらめてAmazonか楽天ブックスで買おうか、と思い始めていた、そのときに「もしかしたらBL棚においてあるかもしれない。ここの店員さんはハイレベル。そういう面白いことするかも」と良いアイデアが思い浮かんだのだ。 その本屋さんのBL棚がどこにあるのか知っているので、足取りに迷いはない。ちなみに私はR18エロ棚の前に立つのはイヤだが、BL棚の前に立つのに躊躇はない。ただ、その時はちょっと気まずい、いや、私は気まずくない。私ではなく、先客の方が気まずそうにして、そっとBL棚を離れてしまったのだ。BL棚のあたりはあまり人がいないことが多いのだが、その時もやっぱり、その方一人だけ・・・。 あー、しまった、邪魔してしまったかも、ごめんねー、と思いつつ、急いで「メタモル」を探すもなかなか見つからず「やっぱりここじゃないかな〜、でもだとしたら一体どこにあるんだろう」 と心のなかでつぶやきながら、隣のBLじゃない棚もついでに探し始めると、さっきBL棚にいた方が戻ってきた。戻ってきたけれどBLじゃない棚の前で固まっている・・・。私がBL棚の近くにいるから近づけない、のかもしれないなぁ、もしそうなら私は完全におじゃま虫だなぁ、ここは一旦撤退するか、と思ったその瞬間、いや、ここはあえて私がもう一度BL棚に戻って真剣に選ぶ素振りをしてみよう、と思い直す。 BLが好きなわけではない、私のようなものが真剣に選ぶ素振りをするのは悪いことかも知れない。でも、それでも。その時は、そうしたくてたまらなかった。私の勘違いかもしれないけれど、あの人に伝えたいと思ったのだ。 「誰が何を好きでも良いんだよ」 「あなたたけじゃないからね」 でも、私はそれをして良かったと思っている。私自身にとって、とても良かった。 初めてしっかり見てみたら絵がとってもきれいで話も面白そう。 読んでみたいなと思えたことはとても良かったと思う。

強風テント倒壊事件

油断していました。 気をつけてはいたのですが、まさかあんなことになるなんて。 後から思い返せばそうなる予兆はあったんです。でも大したことはない、大丈夫だろう、と思ってしまったのです。 そう、テントが倒壊したんです。 倒壊というのは、その言葉のとおり「倒れて壊れた」なのですが、本当にそんな感じのことが起こってしまいました。 倒壊の原因は強風です。強風をテントの側面から受けてしまい、押し倒す力に負けてメインポールが折れ曲がってしまったのです。 我が家のテントは堅牢な作りで定評のあるメーカーのもので、それなりに高価なトンネル型ツールームテントです。今までも強風キャンプなんて何度も経験ありますけれど全く問題なく、かなりの強風にも余裕で対応できてました。 でもあの日は油断した、ただその一点だけで倒壊にまで至ってしまったのです。油断といっても、うっかりミスでも些細なことを省略したのでもありません。実際にはテントの構造上、強度を確保するためには絶対に必要なことをしていなかったという、実に致命的なことをあえてしていたのです。 それで、何をしていなかったのか・・・、メインポールのガイロープを張ってなかったのです。なので、強風なのにガイロープ張ってなかったらそりゃ倒壊するわー、と言われればもう、ホントにそのとおりなんです。 当時は朝から強風で、ただそれでも前日の雨はすっかり止んでとてもいい天気でした。 撤収はまず雨に濡れたテントを乾かすのが何よりも大事ですけれど、欲を言えば地面も乾かしたい、というのも芝サイトということもあって、前日の雨で地面がベチャベチャ、しかもテント付近に土が露出している箇所があって、そこはもうドロドロです。テントにドロドロは絶対つけたくないので撤収時のテントたたむ時どうしようか、と悩んでいました。 テントは日光と強風によってすぐにカラッと乾いてくれましたが、実はこれはキャンプにくる前から想定済みなのです。 そうなるとやっぱり気になるのが地面のベチャベチャです。土が露出した部分のドロドロも含めて、なんとか乾かしたいのでテントのフロント、リア、サイドパネルを全て捲し上げて、タープのような形状にして、日光を当てて風通しを良くしました。ちなみにこの時点ではまだガイロープはしっかり張ってあります。 そのようにして地...

きらいな人たち

いままで生きてきて、私もそれなりに色々な人たちを見てきましたので、自分に合う人、合わない人というのはだいたい分かってくるようになりました。 容姿はまた別としましても、お話していて不快に思わない人、安心してお話ができる人、というのはやはりとても大きな存在、とても大切な存在だと思います。多分そういう人たちとはお互い考え方が違っていても話ができるようにも思えていて、それこそお互い尊重しあえていると少しくらい意見が違っていても大丈夫、という感じになるのではないかと思っています。 ただやっぱりこの世の中、そういう自分に合う人たちばかりではないのでなかなか大変なのですが、そういう自分とは合わない人たちについては、最近はもうなるべく関わらないようにしてます。そういう人たちは大抵の場合は少し話をしただけで「この人はダメだ」と分かるようになってきたので、自分の心を守るために、なるべく早めに逃げるようにしています。 合わない人たちとは無理して関わり合ったり付き合う必要はまったくありません。自分の人生において必要のない存在だと切り捨ててしまって良いと思っています。 そもそも自分と合わない人たちとは、まともに話し合えるかどうかも分かりません。おそらく気分を害するのでなるべく話さないほうが良いくらいですけれど、無理してお互い分かりあえうようになる必要もないですし、無理に歩み寄る必要もありません。 自分に合う、合わないは個人の感覚によって人それぞれ違いますけれど、こういうのはなるべく早めに自覚できていると人生少しは楽にるのではないかと思います。特に「合わない人」、つまり「きらいな人」のことですけれど、こういう人の特徴というか「こういう人は自分は苦手なんだな、きらいなんだな」と分かっていると、「この人とは関わってはいけない」と判断できて、なるべく早く逃げることができるようになってくるのではないかと思います。 きらいな人の特徴を羅列すると、私の場合はこのようになってます。 話し方が下品 話す内容が下品 マウントとってくる うるさい、声が大きい 自分の話しかしない 中高年男性 これはつまり「おじさん」のことなんだな、と分かってくるのですが、もうやっぱり私はおじさんが大嫌いなんです。生物としてのおじさんに嫌悪感があるくらいに嫌いなの...

ICLの経過

2011年3月にICLの手術をして12年経過しましたので、その後の目の状態について書いてみたいと思います。 まず今の目の状態ですけれど全然問題なしです。問題なしというよりもとても良いです。 ICLのレンズの選定としては、視力2.0になるように合わせてもらったので、術後しばらくの間は2.0でしたが、そこから徐々に下がってきて、今は1.5〜1.0程度に落ち着いてきています。見え方は今もとても良いです。とにかく視機能というものについてはなんの不満もなく、満足度は大きいと思います。 QOL(生活の質)としては裸眼と変わらないので、起きてから寝るまでになんの不自由もなく過ごせています。眼内レンズは目の外からは見えず、自分でも知覚できないので存在を意識することもなく、今ではICLの手術したこともほとんど忘れているくらいです。 と、このように素晴らしい体験をもたらすICLですが、それでもハローというものには触れておく必要はあると思います。ハローはICLの構造上どうしても発生するので、誰でも見えるものだということは知っておいたほうが良いと思います。 私の現在のハローの見え方ですけれど、今の年齢(40代中盤)ではもうほとんど見えることはないです。(個人差はあるとは思います)慣れたこともあるのですが、それよりも年齢的なことが大きいと思います。虹彩の大きさ(暗いところでの虹彩の広がり方)が年齢とともに小さくなるようですので、それによって今の私の年齢だとほとんど影響がなくなるように思います。 このハローについては、眼科専門医の小島隆司医師が公開しているこちら↓の記事と動画がすごく分かりやすくて参考になると思います。(小島隆司医師は私のICL手術を担当してくださった執刀医でもあります) 眼科専小島隆司の公式サイト ICL術後ハローについて 私もハローはやはり術後はかなり気になりました。 特に夜間の車の運転時は信号や街灯などの光に全部ハローが見えてましたので、それなりに煩わしかったです。あとは映画の字幕もハローがあって見えにくいです。ただやっぱり慣れてくるので、術後数年たった頃にはおそらくあまり気にならなくなると思います。見えることは見えるのですが、見えてても気にならない、という感じですね。 あとは私がやったICLの当時のバージョンだと、レンズの中央部分に...

自宅のトイレで香害にあう

油断していました。 何気なく買ってきたトイレットペーパーがまさかあんなに匂いがついているなんて思いもしませんでした。 このトイレットペーパーのせいで自宅のトイレがすごく臭いです。トイレなので臭い時は時々あるのは普通ですけれど、あのなんとも言えない人工的な香りが常時漂うのは許しがたい事態です。 私は人工的な匂いが苦手なのですが、苦手なのもあってかなり敏感に察知できます。いわゆる香害といわれている匂いなのですが、特に柔軟剤やシャンプー、リンス、コンディショナー、整髪料の匂いは顕著に分かります。臭いだけならばまだ良いのですが、その匂いによって、気持ちが悪くなってきたり、口の中が苦くなってきたり、舌がしびれてきたり、皮膚がヒリヒリしたりするので、ちょっとした健康被害もあったりします。 このような強い匂いを放つものの中でも、やはり最強に臭うのは柔軟剤でしょうか。とはいえ、やはり柔軟剤も商品によって匂いの強さは違うようですし、使い方によっても匂いのキツさに違いが出るようです。散歩などで適当に歩いていると不意に匂いをくらうことがありますが、ご家庭ごとに匂いの種類やキツさに差があって、「これはまだ大丈夫」と思えるものから「もはや毒ガス!」レベルの強烈なものまで様々です。 我が家のご近所さんでも洗濯物からかなり強烈な匂いを漂わせているご家庭があるので大変困ってます。自宅の窓を開けて換気するような時も、無策で適当に窓を開けると強烈な匂いが自宅の部屋中に充満するので、風向きや時間帯によって開けても大丈夫な窓を確認する必要があるのです。 しかもこのご家庭は初夏〜秋頃まで蚊取り線香を炊くのです。この蚊取り線香も通常のものではなく匂いがきついタイプのもののようで強烈な悪臭をくらわせてきます。油断して窓を開けようものなら大変なことになります。 さらにこのご家庭は時々ベランダでタバコを吸っていることもあります。タバコ臭は最強最悪ですね。 タバコ臭といえばこの前、家族でキャンプにいったとき、お隣のサイトのご家庭が最強レベルの強烈な臭いを漂わせていて、その悪臭の種類を分析したところ、タバコ臭40%、柔軟剤60%程度の混合臭でした。(本当は分析ではなくてただの勘です) おそらくタバコ臭をごまかすために更に強烈な臭いの柔軟剤を適量を無視して大量に使っているのではないかと...

長年の飽き

長い間同じことをしているとやっぱり飽きますね。 というのも仕事の話しなのですが、今の仕事は15年以上もずっと同じ会社にいて、同じような内容の仕事をし続けているので、流石に飽きてきました。とはいえ、飽きてきたのは今に始まったことではなくて、今の仕事を始めてから5年程度経過したころから飽きを感じ始めていると思います。 ただ、なんでしょうね、飽きてきたなぁと思うタイミングで、別のやり方を取り入れてみたり、ちょっと面白いと思えるようなことができるような提案をして、実際にそれができたりして、自分で飽きを上手く乗り越えてきたように思います。他にもちょっと大変そうな案件に取り組むことになって、飽きを感じている場合ではなかったりすることも多かったのですが。 あとプライベートでは子どもが生まれたことで、仕事のことで飽きている場合ではなくなったというか、安定収入を得ることが最優先になってきたので、「飽きたから仕事変えようかなぁ、転職しようかなぁ」なんて考えることもなく、さらに育児も忙しいし、とりあえず残業なく休みたい時に有給使えるような今の仕事できているだけでありがたいと思っていました。 とはいえさすがに15年もやってたら飽きますよね。最近はリモートワークができるようになって、すごくやりやすくて快適な仕事環境になっているので、それはそれでとても良いのですが、でも今はもうそれだけですね。仕事環境が今と同等に快適に整えられるなら別の仕事をしていきたいですね。 でもこれも、かなり贅沢なこと言ってる自覚はあるんですよねぇ。

インターネットの情報はお金の匂いがする

何かネットで調べる時、とりあえずGoogle検索してみたり、SNSを見たりするのですが、出てくる情報はたいていお金の匂いがします。もう随分前からこんな状況ですけれど、ちょっと気持ち悪いです。 知りたいことがあって検索してみると、それっぽいページが見つかって、ちょっと読み進めてみると実は広告だった、ということは割とよくあります。知りたいことが商品のことだったら、まだ良いかと思えますけれど。 でも商品について私が本当に知りたいのは実際に使っている人が言っていることや、その商品の本当の価値についてなのです。どこが良さそうに思えて買ったのか、実際に使ってみて期待通りだったかとか、不満点はないのか、などの情報がほしいです。それはつまりレビューなんですけど、Amazonや楽天のレビューはいまいち信用しきれないところもありますので、私はそのようなプラットフォームに乗っているレビューは参考程度にしつつ、さらに個人が書いているブログやSNSも見て、できるだけお金が絡んでいなさそうな情報を探すようにしています。 私はたまにはお金の匂いのしない情報があっても良いのではないの〜、な感覚でこのブログを書いています。なので結果的にほとんど価値のない情報だらけになっていくような気もしますけれど、思いつくまま日記のような感覚でしばらく書いてみたいと思っています。

なんでも商品になっていく

資本制の社会では、どんなものでも商品になっていくようで、しかもそれがどんどん加速していくようです。 よく例に出されるのは、ペットボトルのお水でしょうか。いつの頃からか、ただのお水やお茶が売られるようになって、その当時まだ子どもだった私もちょっと驚いた記憶があります。驚くのとはちょっとちがって、疑問に思ったという方が正しいかもしれません。「こんなもの誰が買うのだろうか」という疑問です。いずれにしても、それまでは商品ではなかったものが商品になっていって、今では当たり前に売っているもので、買ってくるものになっている、というのは、資本制が加速している状態と言えるのではないでしょうか。 私も自分の時間と能力を売って、お金に変えています。つまり時間と能力を商品として売っているのです。ほとんどの人がそうしているように思います。自分の時間と能力を売るにしては少々安い気もしないでもありませんが、なんだか相場のようなものがあるので、もっと高く売りたいのになぁ、と思ってもなかなか実現は難しいのです。 私の時間と能力を買った側は、支払うお金に見合うだけの価値を取得する、ということはないでしょう。大抵の場合、支払うお金以上の価値を取得しているはずです。そうでなければ利益が出ないからです。例えば仕事をする上でよく、生産性を上げる、という言葉がでてきますけれど、この生産性が上がると大抵の場合は「私の時間と能力を買った側」が利益を得るはずです。というのも同じコストでより多く生産すると、利益が大きくなりますが、その利益は私が得ることはなく、雇用側が得ることになるからです。なぜなら私に支払われるお金はほぼ一定だから、ですね。 いままでの経験上では、自分の時間と能力の価値を高める、高く買ってもらう方法として一番効果的なのは転職だったように思います。同じ企業にいても多少は上がっていきますけれど、自分の能力や生産性の高まりに見合うだけの上がり方ではありませんので、転職して改めて売り込んだ方が手っ取り早いのです。 それにしても、日本の実質賃金は全然上がりませんね。日本はだんだんと貧しい国になってきているように思いますけれど、貧しい国では労働力も安く買い叩かれていくのでしょうか。どうせ売るのならもっと高値で売れる相手に売りたいのですけれど。

いつもと違うことに興味が向くので

自分のしたいことが何なのか、いまだに分からないのです。自分の人生、自分の時間、せっかくなので、自分のしたいことに費やしたいと思っているのに、肝心の自分のしたいことがまだ分からなくてモヤモヤします。 本当はちょっと分かってるかも、しれないのですが、私は欲張りなので、自分のやりたいことを仕事にしたい、つまりやりたいことをお金に変えたいと、ついつい考えてしまいます。でもなかなかお金に変わってくれそうな方法が思いつきません。 お金に変えるということは、そのやりたいことに「使用価値」があって、しかも必要としてる人がいて「価値」があるという状態、つまり商品にするということです。しかも食うに困らず、将来への蓄えもできて、子どもたちの養育費も賄わなければならないとすると、すごくたくさんの価値が必要になるので、ちょっと途方もないなぁと思ってしまいます。 そう考えると今の私のやってる仕事は実は凄いのかもしれないなぁ、なんて思えてきます。 そんなことを考えているとちっとも先に進みません。でも、お金のことはちょっと棚上げしておいて、ただ単純に自分のしたいことってなんだろうなぁって考えるのはちょっと楽しいです。 あとなぜだか、こういう時は、いつもと違うことに興味が向くのです。 いつもなら見ようと思わないような映画とか見てみたり、何となく行ってみた子ども向けの演劇ワークショップがすごく楽しかったり。 この前はNetflixで、「ペンションメッツァ」を見てみたらとっても良かったです。どのお話も良くて、あとドキュメンタリーを見てるような感覚がします。登場人物たちは生きている人たちで・・・、というのは当たり前のことなのですけれど、なんというかリアリティがあって、その人が生きてきた背景が鮮明に見えるかのようです。「やっぱりみんな人生に迷うのだな、でも迷いながらもちゃんと生きてるだなぁ、すごいなぁ」なんて思ったりして、なんだかちょっと涙がでて、元気をもらったような気分になりました。 ペンションメッツァは家族みんなで見ていたのですけれど、うちの子どもたちは、もたいまさこさんが気になったようです。なのでついでに「かもめ食堂」も見てみました。 こちらは私は以前に見ていたのですけれど、改めて見てみると今の自分なりの受け取り方がありました。「自分の人生を生きるって、そんなに難し...

日記を書くのは

最近は少し心が不安定です。仕事のこととか子どもたちのことや自分たちの老後のこととか考えると不安で気持ち悪くなって、オエってなります。 最近仕事のことで、分岐点に立ってる状況な気がして、今の仕事を変えるか?なんて考えて、それが原因でいろいろ不安になっているのです。 でも今は仕事関係では、実は結構恵まれてるなぁと思ってるのです。仕事内容自体は自分に合ってると思えるし、それなりにやりがいがあって、自分で考えて主体的に動けるのであまりストレスがなく、残業も全くしてないし、普通に土日休みで有給も自由にとれるし、さらに2020年の春からはコロナ禍でリモートワークで自宅で仕事できてるし、本当にもうすごくありがたい状況なのです。 リモートワークはもう憧れというか、こういう働き方がしたいと、ずっと前から思っていたのです。よつばとのよつばのお父さんが自宅で仕事してるのを見て、「あー、良いなぁ、いつか私もこんな感じにしたいなー」とおもっていたのです。そのためにはフリーランスにならないとなぁ、なんてことも考えていたのです。 さて、最近仕事のことで帰路に立ってるかも、というのは、もうこのリモートワークが関係していて、一時期リモートワークできなくなるかも、という状況に直面して、それだったら仕事変えれば良いやぁ、なんて考えて、さらにちょうど年齢的にも今後の仕事のこと考える良いタイミングだな、なんて考えて、もういっそのことフリーランスに転向するかなぁ、って。 ただやっぱりなかなか踏ん切りつかないのです。特にウチはまだ子どもたちが小さいので、収入のことがすごく気になるし、諸々保証もなくなるし、いろいろ不安定かも、どうしよう… そもそも私のような者がフリーランスとしてどれだけ市場価値があるのか考えてたらもうすっかり自信喪失です。 そのようなぼろぼろになったメンタルでは、実に見事に良くない考えが次々と、地の底から湧き上がってくるのです。50代、60代になった時に仕事なくなるかもしれないから、もっとリーダーやマネジメントの役をやって行った方が良いのではないか、もうリモートワークは諦めた方が良いのではないか。 でも、やっぱりマネジメントとかやりたくないし、やっぱりリモートワークは諦めきれない、というかもう必須。 あ、あともしフリーランスになったら休みの日にまでお客から電話...