きらいな人たち

いままで生きてきて、私もそれなりに色々な人たちを見てきましたので、自分に合う人、合わない人というのはだいたい分かってくるようになりました。

容姿はまた別としましても、お話していて不快に思わない人、安心してお話ができる人、というのはやはりとても大きな存在、とても大切な存在だと思います。多分そういう人たちとはお互い考え方が違っていても話ができるようにも思えていて、それこそお互い尊重しあえていると少しくらい意見が違っていても大丈夫、という感じになるのではないかと思っています。

ただやっぱりこの世の中、そういう自分に合う人たちばかりではないのでなかなか大変なのですが、そういう自分とは合わない人たちについては、最近はもうなるべく関わらないようにしてます。そういう人たちは大抵の場合は少し話をしただけで「この人はダメだ」と分かるようになってきたので、自分の心を守るために、なるべく早めに逃げるようにしています。

合わない人たちとは無理して関わり合ったり付き合う必要はまったくありません。自分の人生において必要のない存在だと切り捨ててしまって良いと思っています。

そもそも自分と合わない人たちとは、まともに話し合えるかどうかも分かりません。おそらく気分を害するのでなるべく話さないほうが良いくらいですけれど、無理してお互い分かりあえうようになる必要もないですし、無理に歩み寄る必要もありません。

自分に合う、合わないは個人の感覚によって人それぞれ違いますけれど、こういうのはなるべく早めに自覚できていると人生少しは楽にるのではないかと思います。特に「合わない人」、つまり「きらいな人」のことですけれど、こういう人の特徴というか「こういう人は自分は苦手なんだな、きらいなんだな」と分かっていると、「この人とは関わってはいけない」と判断できて、なるべく早く逃げることができるようになってくるのではないかと思います。

きらいな人の特徴を羅列すると、私の場合はこのようになってます。

  • 話し方が下品
  • 話す内容が下品
  • マウントとってくる
  • うるさい、声が大きい
  • 自分の話しかしない
  • 中高年男性

これはつまり「おじさん」のことなんだな、と分かってくるのですが、もうやっぱり私はおじさんが大嫌いなんです。生物としてのおじさんに嫌悪感があるくらいに嫌いなのですが、私もおじさんにも「良いおじさん」と「悪いおじさん」がいるのは分かっていて、ひとくくりにするのは躊躇われるので、ここでは「イヤなおじさん」とか「汚いおじさん」というように表現しておきます。いちおう、念の為ですけれど、汚いというのは目に見える汚さではなくて、内面の汚さです。

汚いおじさんたちは、自分の人生にまったく必要なく、精神的に苦痛で、害をもたらす存在であり、関わっては危険なので、なるべく早く距離をとり、なるべく早く逃げる必要があります。とはいえ、そう簡単に逃げられないこともありますし、逃げた先に新たな汚いおじさんが出現するかもしれません。それでもまずは逃げることが重要です。ときに素早く、またときには慎重に。

実は最近、私も仕事関係で「汚いおじさん」の典型例と関わる必要があって、ただいま非常事態なのです。しかもこの汚いおじさんは、単体ではなくて複数個体で徒党を組んでますので、もうかなり気持ち悪いです。なるべく関わらないようにしたいのですが、仕事の関係で、多少は関わる必要があり(とはいえ、実務的には全然必要のない関わりなので、その分ストレスが大きい)、なかなか逃げるに逃げられない状況です。一応、早々に手は打ってあるので、その気になれば逃げられると思ってますけれど。

というように、人生思うようにいかないこともありますが、それでも「きらいな人」を知っておくことで、自ら近寄らないようにできますし、向こうから近寄ってきたときや、成り行きで接近してしまったときにも、なるべく避ける行動がとれますので、まず知っておくこと、「自分のきらいなひとたち」を自覚できるようにしておくことは、とても大切なことのように思います。

逆に、自分に合う人たちのことは、「自分はこんな人が好きなんだ〜」と知っていなくたって大丈夫です。合わない人と関わらないようにしていたら、大抵の場合は今、自分の周りにいるのは「自分に合う人たち」になっているのではないかと思いますので。

このブログの人気の投稿

カメラのグリップのベタつきは重曹でとれる!

長年の飽き

日記を書くのは