なんでも商品になっていく

資本制の社会では、どんなものでも商品になっていくようで、しかもそれがどんどん加速していくようです。

よく例に出されるのは、ペットボトルのお水でしょうか。いつの頃からか、ただのお水やお茶が売られるようになって、その当時まだ子どもだった私もちょっと驚いた記憶があります。驚くのとはちょっとちがって、疑問に思ったという方が正しいかもしれません。「こんなもの誰が買うのだろうか」という疑問です。いずれにしても、それまでは商品ではなかったものが商品になっていって、今では当たり前に売っているもので、買ってくるものになっている、というのは、資本制が加速している状態と言えるのではないでしょうか。

私も自分の時間と能力を売って、お金に変えています。つまり時間と能力を商品として売っているのです。ほとんどの人がそうしているように思います。自分の時間と能力を売るにしては少々安い気もしないでもありませんが、なんだか相場のようなものがあるので、もっと高く売りたいのになぁ、と思ってもなかなか実現は難しいのです。

私の時間と能力を買った側は、支払うお金に見合うだけの価値を取得する、ということはないでしょう。大抵の場合、支払うお金以上の価値を取得しているはずです。そうでなければ利益が出ないからです。例えば仕事をする上でよく、生産性を上げる、という言葉がでてきますけれど、この生産性が上がると大抵の場合は「私の時間と能力を買った側」が利益を得るはずです。というのも同じコストでより多く生産すると、利益が大きくなりますが、その利益は私が得ることはなく、雇用側が得ることになるからです。なぜなら私に支払われるお金はほぼ一定だから、ですね。

いままでの経験上では、自分の時間と能力の価値を高める、高く買ってもらう方法として一番効果的なのは転職だったように思います。同じ企業にいても多少は上がっていきますけれど、自分の能力や生産性の高まりに見合うだけの上がり方ではありませんので、転職して改めて売り込んだ方が手っ取り早いのです。

それにしても、日本の実質賃金は全然上がりませんね。日本はだんだんと貧しい国になってきているように思いますけれど、貧しい国では労働力も安く買い叩かれていくのでしょうか。どうせ売るのならもっと高値で売れる相手に売りたいのですけれど。

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